朝霧の家出


 その時は何も考えず、何にも悩まず、ただ前向きに日々を生きていた気がした。

――その後は、どうだったろうか。


***


 第一よりマシというより、第二なのに緩すぎる。そういう家だった。
 柊暮家の第二分家である淹守家は規律が本家と第一分家に比べてかなり緩い。
 何かあったからと牢に押し込められることもないし、雰囲気も比較的一般家庭のアットホームさに近かった。
 そんな中で育ったからだろうか、淹守日向はのびのびと育つことが出来た。……11才までは。

「…こ、これ何?」
 11才の誕生日に差し出されたのはプレゼントではなく、ぱんぱんに膨らんだ深緑色のリュックサックだった。
 日向は説明を待つように父親を見上げる。
「あー…いや」
 父親は無精髭の生えた顎をさすると、言いづらそうな顔をして日向の頭を撫でた。
「ちょっと間……家出してくれ」
「……あぃ?」
「しーっ、本家さんにバレると意味ないからな、こっそり上手く消息を絶つんだぞ?」
 父親は無理やりなのか茶目っ気たっぷりにそう言ったが、唐突すぎて日向には何が何だかわからない。
 それを察してか父親はにこっと笑った。
「半年くらい前にお前…妙な力を持ったろ?隠してたんだが本家さんの耳に入ったらしくてな、すると馮河の嬢ちゃんみたいに…えっと…本家さんに安全な人物とわかるまで牢に入れられるかもしれんから」
「ろ、牢っ!?俺なんも悪いことしてないぞっ…?」
「や、昨日盆栽を全滅させたのはどこの誰だよ」
 日向の額をぺちっと叩いた父親は、リュックサックをばふっと日向に押し付けた。
「まーアレは水に流すとして、だ。ようはお前を本家さんの坊ちゃんらより劣ってる奴と証明しなきゃならない。ってことでしばらくどうしようもない放蕩息子を演じてくれと、父さんは言っているワケだ」
「……え、演じなかったら…?」
「暗いトコで三食、監視付きで月イチ報告書とか書かれちゃったりする特典付き」
「………」
 日向は勢い良くリュックサックを担いだ。
「……いつまで?」
「最低1ヶ月以上だな、それ以上は好きなだけはっしゃるくと良い」
「日南と日巫女は?」
「このこと知ってるのは俺と母さんだけだ、2人は知らないな…まあ騙すなら身内からだ」
「むー……」
「そんな顔するな、親公認の放浪の旅だぞ?ちなみに放蕩息子は現金も持ち出したことになっている」
 言われてみればリュックサックが無駄に重たい。

「で、日向」

 父親はしゃがんで日向を抱きしめた。

「いってらっしゃい」


***


 まだ深夜と呼べる時間に日向はいくつかの私物を無理やりリュックサックに詰め込んでいた。
 と、窓際の水槽が目に入る。
「紐……」
 紐とは日向のネーミングセンスの犠牲になった白い蛇のことだ。今は夜行性なだけあって白い鱗を光らせながらあっちへにょろにょろこっちへにょろにょろしている。
「……どうせ日南や母上は蛇嫌いだしなぁ、餓死しても困るし……」
 日向は水槽の中から白蛇を取り出すと、自分の前ポケットに入れて部屋から出ていった。


 見送りの姿は清々しい程に見当たらない。
 ああ、俺は本当に今から家出するんだな、と思った。
「……」
 鍵の外された裏口から屋敷を振り返り、日向は一言呟いてから敷地の外へと出ていく。
 おおよそ家出する者が口にするものではない言葉。
 それを聞けたのは白蛇だけだったかもしれない。


***


「――いってきます…」


end.

 

  

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